嘗てここに隧道があった。
しかしながら、モータリゼーションの波と車両の大型化は、
日本海に浮かぶこの小さな島々にも否応無く訪れた。
あるものは別に付け替えられた新道にその座を奪われ、
またあるものは別にトンネルを穿たれ、
そして、またあるものはそのどちらも適わず開削された。
嘗てここにあった隧道は、「蛸木隧道」 [地図]と
呼ばれ明治45年竣工で、全長63m、巾5m、高さ4.5mと
当時としては割と大きな隧道がここに穿たれていた。
しかし、その後交通量の増加や自動車の大型化、島民の日常生活と観光振興のために
耐えられなくなった隧道はついに開削という形でその姿を消してしまった。
その開削された跡は、かなり上方まで法面が続いている大規模な改修だったようだ。