@レポート:香山公園→竪小路
香山公園とr204を結ぶ3桁県道、大部分がr62と重複しており単独区間は僅か220m程。
国宝に指定されている五重塔で有名な瑠璃光寺がある香山公園前から始まっている。
しかし、なぜ香山“園”公園線と「園」が一つ余計なんでしょうね?
[地図]
一直線の門前道、この突き当たりまでが単独区間。道は僅かに下りになっている。
「そば寿し」なる看板が、ご飯のかわりに蕎麦をまいた巻き寿司(?)だ。
木町で「山口県道62号 山口旭線」が合流する。 r202はここを右折し終点までr62と重複する、左右の道がr62。合流点で「木町橋」で一の坂川を渡っている。 [地図]
曲がってすぐ右の橋の袂に「山口十境詩」の碑「虹橋跨水(天花)」がある。
終点までの区間は竪小路と呼ばれる歴史景観の残る街並み……なのだが全くそんな街並みであった記憶がない。 いつもの如く時間に追われ県道にしか目が行ってなかったためなのだろう、哀しい。萩往還でもある。
「上竪小路」交差点で国道9号と交差する。 r202はここ直進する、r62も直進、左右の道がR9。 [地図]
「上竪小路」交差点の南東角には「上竪地蔵尊」が安置されている。大内弘直の作とされる。一の坂に安置されていた際大火に見舞われ、地蔵尊にもその火が迫らんとした……その時! 地蔵尊がピカーっと光り輝きこの上竪の地まで飛んできたのだそうな、すげぇ! その後R9BP工事のためここに移された。
左折した先には野田神社がある。
わかりやすく道幅がちょっと広がる。
一灯の信号機。左手に山口八坂神社がある。
「山口八坂神社」600余年前に大内弘世が京都から勧請した。上竪小路・水の上・山口大神宮内と転々としながら江戸時代毛利氏の時代にこの地に落ち着いたんだそう。 7月の祇園祭の際に大内氏の頃から伝わる神事「鷺の舞」が奉納されるとか。
「箏曲組歌」発祥の地なんだそうな。
車通りも少なく史跡も多くあり散策には丁度良い。
左手に龍福寺と大内氏館跡がある。
「龍福寺」1206年に大内満盛が開基となって白石の地に創建、名を「宝珠山瑞雲寺」という臨済宗の寺であったが、1454年に大内教弘が開基となり曹洞宗として中興、寺号も「宝珠山龍福寺」に改名。 その後、陶晴賢が起こした謀反(大寧寺の変)で焼失。毛利氏が大内氏を滅ぼした後、毛利隆元が開基となりここ大内館跡に大内義隆の菩提寺として再建したんだとか。ややこしい。
「大内氏館跡」訪れたときはなにやら史跡復元工事中であった。
予告標識、この先の「竪小路」交差点は十字路なのに丁字路に描かれているのはヒドイ。
ちょっと高い建物や店が増えてきた。
「←益田78km|65km下関→」なのは国道?号の名残なのだろう、2枚上の写真でも「204」を上から貼り付けた跡が見られる。
「竪小路」交差点で「山口県道204号 宮野大歳線」にぶつかってr202は終わりを告げる。 左右の道がr204、r62もここまで。 [地図]