@レポート:院内→白地
院内で「鳥取県道37号 岩美八東線」から分岐する。
r197はここを左折する、r37は手前と直進。
[地図]
「鳥取県道197号 院内馬場線」県道標識。
JAや郵便局などが建つ通りだが、集落の中心地ではない。ちなみに右に見えるJAの建物は今はなく民家になっている。
「山崎橋」で小田川を渡る。
橋を渡った向こうには数軒の民家と郵便局がある、その前で道幅が少し狭まっている。
右に郵便局があるのだが、駐車場の壁しか写ってない……
今度は「院内橋」で荒金川を渡る。左手の少し先で先ほど渡った小田川と合流している。
「院内橋」を渡ってすぐの北詰を右折する。正面に校舎のようなものが見えるが、旧岩美町立小田小学校でこの時すでに廃校(2001年)になっていた。
[地図]
左の小屋部分だけ歩道と中央線がなくなり一幅が少し狭くなっている、当時は渋られたのだろう。
現在は話し合いもついたのか、小屋は少しだけはつられ、道幅も歩道もその前後と同じように設えられている。
この左手辺りが院内集落の中心地、右に川に下りる道があった。
院内集落を離れるとしばらくは建物のない谷間の田園地帯を行く。
荒金川によってできた谷底平野。
遠くに人家が見えてきた。
真っ直ぐが気持ちいい。元は左に見える山際を行く道で、近年この道が整備されたのかと思いきや、80年ほど前には既にあったことに驚いた。
おそらくこの先にある荒金鉱山から鉱石を運ぶのにトラック輸送に変えた関係なのだろう。
荒金集落に入る。
集落外れで上りに入るところで中央線がなくなる。
ここを右に行った先に「荒金鉱山犠牲者慰霊碑」がある。
1943年に発生した「鳥取地震」(M7.2)により鉱泥を溜めていた堰堤が決壊し、強制連行された朝鮮人とその家族28名、そして荒金集落の人々37名の計65名が犠牲となった。
懸命なな収容作業もむなしく、今なお37名の遺骨が鉱泥の下に眠ったままだという、中でも朝鮮人労働者の宿舎は堰堤直下にあったことが災いし、わずか2名しか発見されなかったんだそうな。
この右手に新たに作られた堤がある、何のための堤なのだろう、砂防目的なのだろうか?
ゆるやかな上り。
妙にまっすぐな道。
右に道が分岐しているが「旧岩美鉱山坑排水処理施設」と書かれている。岩美鉱山(荒金鉱山)は日本最古といわれる銅山だったが1955年に閉山した。
しかし、鉱山というものは厄介なもので、閉山してもその後も構内から鉱毒を含んだ水を排出し続ける。ここ荒金鉱山も操業中は下流の荒金川・小田川を「死の川」へと変貌させた歴史がある。
そのため、現在でも中和作業が行われており、これはその施設だ。なお鉱山跡は予約すれば坑道を見学できるそうな。
この辺りから大きなカーブを二つ経て上っていく。
少しきつめの左カーブ、この辺り何故か森もなく開けている。田畑があったわけではないが随分昔から空き地の様にぽっかりと開いていたようだ、鉱山の関係だったのだろうか? 現在は太陽光畑になっている。
二つ目の大きなカーブ。カーブ手前の右手にはかつて牛舎だが鶏舎だかがあったようである。
再び真っ直ぐな道が現れる、昔からある道ではなく1970年代前半に新たに通された道路のためこういった綺麗な線形なのだろう。
ゆるやかな左カーブの前に待避所があった、待避線ならんほどでもないように思う幅はある。
どうやら路肩が崩れたようだ。
左に広い待避スペースがあるが、待避所を造ったというより、道路造成時にできたスペースなだけなのだろうか。
少しきつめのカーブ、カーブ地点に向こうの谷に下りられる作業林道が分かれている。
この辺りはかつて荒金鉱山の鉱石を運んだトロッコ軌道の跡である可能性が高い。この右手は明るく藪が広がっているが、そこも昔は木々のない広い空き地であったようで、鉱山の関係する場所だった可能性が高い。県道はこの辺りが最高所。
昔は山向こうの相山集落に抜けるのに、今走ってきたこの県道ではなく川沿いに上がってくる道があったらしく、この辺りで右から合流していたようだ、そしてこの左カーブを経て右の谷の方に下りて行った模様。
あまり鬱蒼とはしていない森。
車通りはほぼない。
結構きつい左カーブ。この辺りはもうトロッコ軌道跡から外れている、トロッコはしばらく山を進んだ後、相山集落でインクラインを使って下ろしていたようである。
広い待避所。
きつめの右カーブ、こちら側のきつめのカーブはこの二つのみ。カーブ地点左に作業道のようなものが分岐している、かつては左手に奥向かって田畑があったようである。
真っ直ぐな下り、右手藪の向こうに田畑があるようだ。
左に久々に建物を見る、JAのライスセンターのようだ。
下りも緩やかになってきた。
「地蔵前橋」で相山川を渡る。
山から出て相山の集落に入るところで中央線が復活する。
中央線は白実線だ。
ほぼ下りも落ち着いた、この辺りも道沿いに何軒か民家が建っている。
「相山橋」で蒲生川を渡る。
「ここまで」と書かれた県道標識、終点であることがわかる
白地で国道9号にぶつかってr197は終わりを告げる。終点は馬場とあるが、隣の地区になる。
左右の道がR9。
[地図]