@レポート:多麻→滝宮
西片上で新幹線高架手前より始まる。
[地図]
すぐに新幹線の「片上線路橋」をくぐる。
この右手の民家へ至る道の類はなかった、往時より線路を渡っていたのだろうか。ちなみに現在は空家のようである。
左に残っている勾配標識が「28.6‰」を示している当線最大の勾配である、結構な勾配じゃないか。 山の向こうにひょっこり顔を出している建物は東備消防署の訓練塔。
鉄道跡がゆえに、集落など関係のないところを貫いて走っている。
鉄道敷きゆえの気持ちのいい切通し、道路だとおそらく上って下っているか避けている。
「峠清水トンネル」で傍示ヶ峠下を穿つ。 トンネル内で和気町に入る。
トンネルを抜けた向こうの切通し、鉄道ならでは。
田畑のど真ん中を走る。
道路が近づいてきた。
国道374号(484号重複)と並走する。
最接近した後また離れていく。
ホーム跡がある。
同和鉱業片上鉄道「清水駅」跡。交換可能な千鳥式プラットホームの駅であった。 清水の集落からは100m程離れていた、ホーム跡地から北へ少し行ったところに公衆便所がある。
物流センター裏を行く。
森の中を行く、左手の森の向こうには「初瀬池」という大きな池が広がっている。
1車線分しかないのだが、対向車というか車がやってこないので安心して走れる。
開けたところに出た。
鉄道時代はなかったデリネーターが強烈に県道であることを主張している。 この右手に 「中山駅」があったが、駅を示すものは何一つない。
ひまわりを植えてくれている。
広域営農団地農道が近づいてきた。
農道と交差する。
「上新田橋」(2001年1月竣工)で宿瀬川を渡る、下路式ガーダー橋。もちろん躯体となっている鉄道橋時代の架橋はもっと古く1964年架橋である。
何故かこの場所にガイドポストが立っている、左右にあったが現在はこの写真に写っている左側はもげているようだ(2015年のGoogleStreetView)ひょっとしたら今は右側ももげているかも。
「←柵原(終点)29.2km|5.0km(起点)備前→」という標識が傍らに立っていたのでそれを表す何かだったのかもしれない
ここで単独の自転車道路がなくなり市道を走る、もちろん鉄路は直進していた。
かつては車道と並走していた、わけではなく鉄道敷きが車道に転用された。
鉄道敷きはここをまっすぐ行っていた、しかし県道は左にカーブする。
大中山で国道374号(484号重複)が合流する、r703はここを右折する、左右の道がR374。 [地図]
合流といっても、国道とその歩道とは別に自転車道(鉄道敷き跡)は並走する。
ここで少し国道から離れる、鉄道は道路と違って山を回り込むにも大きくカーブしないといけないからね。
山陽自動車道の「和気橋」をくぐる。しかし、なぜこの部分だけ左にぽこんっと膨らんでいるんだろうね?
市道と交差する、車に注意。
道っ端に廃車が並んで置いてあった。
かつては「鉄橋1」(19222年竣工)なる橋で初瀬川を渡っていたが、架け替えられたようで現在は何の変哲もないコンクリート床板鋼桁橋となっている。 写真の橋も、旧鉄道橋のガーダーを利用したとは考えにくく、橋脚も怪しい。
再び国道が近づいてきた。
そして並走する。
国道も鉄路もまっすぐ。
「初瀬橋」で再度初瀬川を渡る。かつては道路橋とは別に上流側(右手)に「初瀬川橋梁」が架かっていたが、 2010年に国道の橋が架け替えられるのに合わせて自転車道(歩道)一体となった。
ここでまた国道が離れていく、鉄路は和気の町へと入っていく。
川のような水路のようなのを渡る。
再び川だか水路だかを渡る、「衣笠4号橋」だか何だかという名前がついている様子。
ググっと曲がって和気駅へと進入していく。
国鉄……もとい、JRが近づいてきた。
和気駅へ進入していく。
右手の台は同和鉱業片上鉄道線の「和気駅」プラットホーム跡と思われるが、当時のものそのままとも思いにくいのでそうじゃないかもしれない、位置的には合っているのだが。
「片鉄ロマン街道」とはこの自転車道につけられた愛称、この看板は現在先のホーム跡と思われるところに移設されている。 よく見ると奥側の縁が向こうに飛び出ている、そこは少なくともホーム跡がそのまま残っているのではなかろうかと思われる。 見えている奥の架線柱は元はホーム上に立っており、現在立っているその場所にはかつて線路がもう一線(四線あったものが現在は三線となっている)あり、それとも符合する。
現在はロータリーと駐車場になっているこの左手にかつては貨物ヤードがあった。
JRから離れて左に膨らんでいく。
和気町道福富中山線と交差する。現在はかさ上げされて平面交差となっているが、かつては線路をくぐった立体交差であった。
この先JRと金剛川と県道を跨ぐために築堤を上っていく、大きく左に振ったのはこのため。
「山陽本線跨線橋」(橋長24m 幅員3.9m)でJR山陽本線を跨ぐ、2000年架橋となっているが、躯体である水色のガーダー橋はおそらく当時のものを利用したものではなかろうか。
「岡山県道395号 和気熊山線」を跨ぐ。 [地図]
「金剛川橋梁」(1973年竣工 橋長112m 幅員4m)で金剛川を渡る。金剛川の堤防嵩上げに伴い下流側に少しずらして架け替えられた下路式ガーダー橋、当時は赤色だったがやまぶき色に塗りなおされている。 元はおそらく開床式鋼直結式ガーダー橋だったと思われるが、人道橋として再整備されるにあたり床板が加えられた結果、路盤が中路式に見えるような高さになったようである。
続いて「不明橋(和気1)」(ふめいきょう、て)で「岡山県道96号 岡山赤穂線」を跨ぐ。 「金剛川橋梁」の下流に架かる国道の「金剛大橋」やこの「不明橋(和気1)」もほぼ同じくらいに架けられたことからr96も堤防嵩上げに伴って整備されたのだろうね。 [地図]
集落裏を行く鉄路。
和気地区へ行っていく。
「本和気駅」跡……かと思いきや実際はここから北に180m足らず行ったところにあったが、現在は病院(写真中央の建物)敷地となっている。
「本和気」の名の通り、ひとつ前の「和気」は実は和気地区になく(所在地は福富地区)この本和気こそが和気町の名の元になっている和気にある。
「明るい和気を作ります」和気上壮年会。
ここを右に行った奥の山の中腹に「和気観音堂」というお堂があり観音像が祀られているそうだ。
和気の集落から出る。
和気で「岡山県道414号 福本和気線」と交差する。 r703はここを直進する、左右の道がr414。 [地図]
「鵜飼川橋梁」(1976年竣工 橋長27m 幅員7m)で鵜飼川を渡る。かつてはこの地に川はなく、鵜飼川は右手にある山裾に沿って、金剛川橋梁のたもとで金剛川に注いでいたようである。 しかし洪水対策のためか1976年頃に吉井川に向かって放水路が造られ“新たに”川と橋が造られた。
何やら白いドームが見える。
右手に「和気鵜飼谷交通公園」がありその前にワム1805が静態保存されていた。
白いドームは「和気ドーム」といい屋根付き多目的グラウンドなのだだそうな。
和気ドーム前に何か見えてきた。
「益原駅」跡……かと思いきや実際はここから北に840m程行ったところにあったが、現在は精密部品加工会社の敷地となっている。
往時の沿線写真が飾られていたが色あせてハッキリしない。
この少し手前に益原駅があった。
人里から離れる。
お墓の前を行く、ここから平野部がなくなり川と国道から一段高い山裾を走る。
国道より一段高い山裾を貫いているのはさすが元鉄路。
山裾を走る。
遠くに吉井川の堰が見える。
さすが鉄路、堀割って進む。岩も削り取ってあった、部分的に石垣の補強もあり。
「龍徳谷橋」(2000年竣工 橋長26.8m 幅員4.8m)で町道と龍徳谷を渡る。
吉井川に造られた堰が見えた。
「新田原井堰」(しんたわらいせき)。飢饉を解消させるため石を使って吉井川を斜めに横切った田原井堰と田原井用水が江戸時代に造られた。 しかし、需要も増え堰も用水も老朽化したことから1986年に今の新田原井堰が造られた。
森の中を行く。
右手の森の中に民家が点在している、集落というより別荘地のようだ。
その入り口付近に鉄路に背を向けてお地蔵さんがあった。
信号がそのままにしてあった、遺構を利用するのはいいがただ立てているだけではなくしっかりと整備しないといけない。
「不明橋(天瀬)」(1999年竣工 橋長7.2m 幅員4m)で池の排水溝を渡る。
再び駅の遺構が見えてきた。
「天瀬駅」跡、交換可能な無人駅だった。1面2線に見えるが千鳥式で、はす向かい(上の写真中央右手の木)にもホームのようなものがあったようだ、旅客扱いがあったかは不明だが。
往時のものそのままかと思いきや自転車道整備に合わせて休憩所に改修されたらしい。
中には空気入れが立てかけてあった、誰かの優しさ。
少し行ったところに大きな招き猫の石像が、石材屋さんかと思いきや金属加工業の工場だった。
天瀬集落の家々は主に左手の国道と鉄路の間にある。
何故かここで左にカクッとずれている。
車道整備に合わせたと思われるズレ。
この右手の山上(天神山北西峰)に「天神山城」が浦上宗景によって築かれていた、また山腹には武家屋敷まであった。 現在はこの右手に落石防護柵が造られているが、その脇より武家屋敷跡と城跡に続く登山道がある。 なお、天神山には日笠氏が出城として築いた「太鼓丸城」があった。
「天神山1号トンネル」で岩山を穿っている。
続いて「天神山2号トンネル」がある。 国道から見ても隧道の二か所に岩が切り立っており、切り通すわけにもいかず掘るよりほかなかったのだろう。
右手に「天石門別神社」がある、狛犬が備前焼らしい。
この手前にある「天神橋」で田土川を渡ったあたりから鉄路は右に膨らみ国道をくぐって左側に移っていたが、 鉄道廃止後国道は直進に改修され鉄道跡は消失した、つまりこの自転車道のこの区間は鉄道敷跡ではない。
ここで国道を渡る。
渡ってすぐに鉄道敷跡に戻るが、国道より一段下を走る。
桜並木がきれいな道いだが、堤防より下を走るため場合によっては水に浸かる。
「龍ヶ鼻陸閘門」をくぐる。1982年に小規模河川改修工事により造られたもので、洪水時下流(写真手前)より堤防内(写真奥)に浸水するのを防ぐ役割がある。 沿線では唯一線路が残る(写真に見える真ん中のコンクリート部)。ところで1982年竣工なのだが、1975年の航空写真にもその姿が見えるのだが陸閘ではなかったのだろうか?
矢田の町に向かって下っていく、旧佐伯町の中心地だ。
「岡山県道53号 御津佐伯線」の「矢田橋」をくぐる。 [地図]
再び信号機の遺構が。
「備前矢田駅」跡、2面2線の駅であったが真ん中に通過線があり、また肥料積み出し用だろうか駅舎のあった上り線(右手)には切り欠きホームがあった。 とはいえ現存するのは下り線ホームのみとなっている。
駅名板。
矢田の町から離れていく。
集落端。
ここで再び国道を渡る。かつてはこの辺りに「井ノ口駅(貨物)」があったようである、片上から井ノ口までは全線開通の8年前の1923年開通で、8年間は柵原鉱山からここまで鉱石輸送用索道で繋がっていたようである……え? 索道で!?
かつてはここで国道が鉄路を渡っていた。
国道と並走しているが国道は見えない。
やはり国道から一段上を走っている。
「床板橋」(1976年竣工 橋長:16.6m 幅員4m)で町道を渡る、しかし床板橋……て。 ちなみに、床板橋の手前(撮影者の場所)で「不明橋(矢田3)」で八木尾川を渡っている。
相変わらず山の中を行く。
「苦木駅」跡、開業当初は2面2線の交換可能な駅であったが、1971年に1面1線の駅となった。
苦木と書いて「にがき」と読む。
当時の駅舎そのまま、とはいっても屋根は鋼鈑に葺き替えられ色も塗りなおされているが。 なお、往時はこちらのホームが使用されており、駅名板が置かれたはす向かいのホーム跡は1971年に廃止となった方。 自転車道整備まではもう少し奥までホームが伸びていた。
駅のあったところよりもこちらの方が家の多い苦木の集落。苦木集落内は国道と同じ高さで並走している。
苦木集落からの道が出てくる。
再び国道より一段高いところを走るようになる。
かつてはなかったが自転車道の整備とともに現れた柵、統一してずっとこの柵が設けられている。
塩田で「岡山県道90号 赤穂佐伯線」と交差する。 r703はここを直進する、左右の道がr90。 [地図]
鉄道敷跡は国道に対して少し右に膨らむ、1985年頃まで左の国道はなかった、右向こうの集落内を通る道が指定されていた。
ここで鉄道敷跡から分かれる、次に会うのは美咲町飯岡。鉄路はここを直進し写真右に見えるコミュニティハウスの前を通っていた。
大きく左にカーブする。
「備作大橋」で吉井川を渡る。備作というくらいだから渡った向こうは美作國かと思いきや、備前國なのであった。
稲蒔で「岡山県道417号 和気吉井線」が分岐する。 r703はここを直進する、R374,484も直進、r417は左折。 [地図]
歩道脇に何かある。
「備前福田駅」跡……などではない、駅跡はここから1.6km程北上したところにある。 鉄道跡ならまだしも全く関係のないところに置いてあるのはダサい。
「土手橋」で高田川を渡った北詰で国道374号と国道484号が分岐する。 r703はここを右折する、R374は直進、R484は左折。 [地図]
高田川の堤防を行く、この先で吉井川に注ぐ。
ここからしばらく吉井川の堤防を走る。
第1吉井川橋梁跡が見える。
ここで鉄路は堤防を横切っていた。
堤防上を快走する。
橋を渡る、わざわざ自転車道のために架けたようだ。
「番念寺橋」(2002年竣工 橋長85m 幅員4m)で滝山川を渡る、滝山川はこのすぐ右手で吉井川に注いでいる。
右手に並走する車道が現れた。
桜並木がある、沿線には結構桜並木があった。日本人、桜並木好きなー。
周匝橋の西詰で国道374号が再び合流する、また「岡山県道351号 藤原吉井線」が分岐する。 r703はここを右折する、左右の道がR374、r351は直進。 [地図]
「周匝橋」で再度吉井川を渡る。
美咲町に入る、しかし実は橋上で少しだけ和気町に入っている。 美咲町と和気町が接しているおかげで美作市は赤磐市と接していない、向かいに見える山は美作市。
周匝橋の東詰で国道374号が分岐する。r703はここを左折する、R374は直進。 [地図]
吉野川の堤防を行く。
鷺橋の南詰で「岡山県道26号 津山柵原線」が合流する。 r703はここを左折する、左右の道がr26。 [地図]
「鷺橋」(1977年竣工 橋長188.3m 幅員10.7m)で吉野川を渡る。
右手(上流側)には旧橋の橋脚跡が残っている、河川改修で架け替えられたのだろう。
鷺橋の北詰で「岡山県道26号 津山柵原線」「岡山県道362号 位田飯岡線」が分岐する。 r703はここを左折する、r26は直進、r362は右折。飯岡と書いて「ゆうか」と読む。自転車道はここでいったんr362を渡り…… [地図]
そして続いてr26を渡って写真奥の道へ行く。
吉野川右岸を行く。
この先の何かの施設に行くためだけの車道が並走する。
ここでくるんと曲がって再び吉井川沿いに出る。この左手で吉野川が吉井川に注いでいる。
飯岡で「岡山県道26号 津山柵原線」が再び合流する。 r703はここを左折する、左右の道がr26。 [地図]
この間はまだ鉄道敷跡ではない、おそらく同和鉱業片上鉄道線廃止後に整備したとみられる。
ここはすでに鉄道敷跡、旧道はここを右からきて線路を渡って向こう側(道路の左車線)に行っていた。
少し下り気味。
見えないけど川沿いを走る、左手に吉井川の流れがある。
ここからr26と別れる。
吉ヶ原(きちがはら)の町へ入っていく。
家の前が自転車道。
柵原鉱山資料館と柵原ふれあい鉱山公園が見えてきた。「柵原」と書いて「やなはら」と読む
動態保存されているキハ312。
「吉ヶ原駅」跡前で県道は終わりを告げる。 [地図]