@レポート:白浜→南風見
石垣を中心に構成する八重山諸島一の大きさをほこり、イリオモテヤマネコや手つかずの自然で有名な「西表島」。
この西表島を周回する唯一の道にして県道である、島の西の端「白浜」より始まる。
旧道が起点よりすぐ右手に分かれている。
[地図]
起点すぐ横には日時計が、この先出てくる"ある"モニュメントの南側延長上にあたる。
「県道215号 白浜南風見線」県道標識。
最初から2車線ある、以後ほとんど全線が2車線の快適な道だ。
白浜港前。陸路がない船浮集落へはこの港から出ている渡船に乗る。
白浜港前を直角に曲がり北へ進路を取る。
かつては山の上を越えていた県道も、今は「西表トンネル」(竣工:1992年6月 全長:675m)で赤崎に突き出た部分を越えている。 日本最西端のトンネルでもある。トンネルとその前後のみ追い越し禁止となっている。 (船浮に旧海軍基地跡があり、そこを最西端のトンネルといえないこともないが)
トンネルを過ぎると下りとなる。
緩い下り。
「美田良橋」(1992年3月竣工)でアラバラ川を渡る。美田良川を渡っているわけではない不思議。
海沿いを走る快適な道。
ここから少しの間中央線が無くなる。
新道は鋭意造成中のようだ。
この土砂崩れの復旧も兼ねての道幅拡張工事なのだろう。現在は2車線となり立派な落石防護棚が整備されている。
道は再び2車線に。
少し上りになる、祖納集落への道が分岐している。
祖納地区に入る、かつては島の西部に位置するここが玄関口であったらしい。 西表の名もそこに由来し、西表=西にある玄関、なんだとか。
西表郵便局の前を通る。
下りの急カーブ、島内のこのような急カーブの箇所には茶色い舗装がなされている。
起点の白浜で見た日時計の北側延長上にあるモニュメント。
ちょうどこの地点に「東経123゜45’6.789”」の子午線が通っているそうだ。 1,2,3〜と並んでいるわけやね、この右手には「子午線ふれあい館」なる建物がある。
「与那田橋」(1977年3月竣工)で与那田川を渡る。
見よ! この水平線の彼方まで広がる青い海を!!怖いくらい綺麗だ。
部分的に、このように狭くなる箇所がある。
白浜で止まっていた路線バスに抜かれた。
イリオモテヤマネコ飛び出し注意看板。夜行性の山猫に対し、夜の街灯のないこの道に、 車のライトだけを頼りにこの看板がどれほどの効果があることか… そもそも、夜中に車で走っているのはたいてい地元の方のような。
気持ちのいい直線。
突然横断歩道が、近所に人家があるわけでもなく、右手に何かあるわけでもなさそうなのに、何故横断歩道が。 歩道側は車椅子対応に、斜路が緩やかな勾配に改良されていました。
「浦内橋」(1969年10月竣工)で浦内川を渡る、浦内川は島内で一番長く大きい川で、 源流である島中心部はカンピレーの滝、マリユドゥの滝などがあり、特別保護地区にも指定された神秘の領域だ。
昭和44年時点では、まだ沖縄は日本に返還されていなかったことが解る。
浦内川河口付近にはマングローブ林が広がる。
浦内川を渡ったところが、カンピレーの滝やマリユドゥの滝へのアクセスポイント。
改良されたてといった感じを受ける。
「第二浦内橋」(1990年10月竣工)で沢を渡る。
青い空青い海快適な道が続く。
丘を上る。
丘を越えてゆっくりとまた下る。
左折するとトゥドゥマリ浜へ。
星砂の浜へ行く道が分岐している、r215の旧道でもある。 [地図]
山を切り通した、というような新道ではない。
中野地区を行く、上原小学校前には島に二つしかない信号機の一つがある、設置された理由は交通安全教育のためだとか。
中野地区を離れ、また少し上りとなる。
しばし海から離れる。
道が分岐している真正面にある建物、「サザンレンタカー」で原動機付き自転車を借りた。 上原港まで無料送迎してくれる。
上原地区をゆっくりと下っていく。
左折すると上原港へ。石垣からの船は島東部大原港行と、島北部にあるこの上原港行の二航路あるが、 珊瑚礁の内海に面している大原港と違い外海を行くこの上原港への航路は、冬季は時化による欠航が多いとのことだったが、 この日は凪いでおり無事着くことができた。
「野崎橋」(1977年2月竣工)で野崎川を渡る。海沿いの直線区間。
上原地区を離れる。
割りときつい坂を上る。
道なりに進むと県道は頂点部で左急カーブを描くが、直進すると琉球大学の熱帯生物圏研究センターへ。
急な坂を下っていく。
急カーブが連続する、速度に注意。
船浦港前で右急カーブがある。 現在は船浦港前を通らないバイパスが整備されている。
右手奥にはニッパヤシの群落がある、西表島はニッパヤシの北限だそうだ。
海中道路と呼ばれる真っ直ぐの道を走る、本当に海の真ん中を走っているように感じる。
「船浦橋」で船浦湾奥の入り江を渡る。この橋が1977年にできたことにより島の東西が陸路によって結ばれた。
海沿いを走っていながら海が見えないことも多い。
「ナダラ橋」(1996年3月竣工)でナダラ川を渡る。
川の中に電柱が、傾き具合が何ともいえない。
山の中へ入っていく。
ヤママヤー飛び出し注意。動物注意の看板もイリオモテヤマネコ。
減速帯に見えてヤマネコ横断注意箇所なのだそうな。
「クーラ橋」(1997年3月竣工)でクーラ川を渡る。
ヤマピカリャー飛び出し注意。ここでいう"ネコ"とはイリオモテヤマネコのこと。
小動物が簡単にはい出せるように傾斜の緩い「幅広側溝」が採用されている。
「西ゲーダ橋」(1996年3月竣工)で西ゲーダ川を渡る。
時折路線バスではないバスに出会う。
「ゲーダ橋」(1997年1月竣工)でゲーダ川を渡る。親柱にはキシノウエトカゲがいる。
澄んだ綺麗な水の上にマングローブ林が広がる。
「大見謝橋」(おおみじゃばし:1997年3月竣工)で大見謝川を渡る。
大見謝ロードパーク前を過ぎる。
「ユキシダ橋」(1997年3月竣工)でユキシダ川を渡る、地図にはヨシケラ川と書いていた。
緩やかーにカーブを描いて上っていく。
人の住む地域は島北西部と島東部のみで、間には本当に人家や建物の類が全くない。
しかし、本当に雨が降らなくて良かった(この前後に降られましたが)。行ったのが12月だったにもかかわらず、 少なくとも本州に住む人間にとっては暖かく、のんびり気持ちよく走れました。
「崎田橋」(さきんだばし、1999年3月竣工)を渡る。
久しぶりに道路構造物以外の物が、案内標識だがどれも距離は10km以上先を指している。
「ユチン橋」(1995年11月竣工)でユチン川を渡る、親柱撮って肝心の橋を撮ってない間抜け。
しかし、全長50km以上ある沖縄県最長のこの県道は原チャにはつらかった。
各所で工事をしていた、両車線とも塞いで、歩道を迂回路にしていた。
久しぶりに建造物を見た。
真正面に海が、道はこの先で右に急カーブを描いている。
右手に、久しぶりに道の分岐を見た。
分岐を奥に入っていくと、パイヌマヤリゾートというリゾート施設がこの奥にある。 日本最南端の温泉と銘打っているが、日本最西端でもある。ちなみに2012年に温泉は閉鎖されている。
「高那橋」(1999年3月竣工)でホーラ川を渡る。
再び工事区間に、道路拡張。
「平川橋」(へらかわばし:2004年11月竣工)で平川を渡る。
右手に旧道が分岐する。
先ほど分かれた旧道とすぐに合流する、わずかな区間だけ山側を走っていたようだ。
「西船良橋」(平成15年3月)でホネラ川を渡る。
続いて「船良橋」を渡る。
久しぶりに海岸線に沿って走る。
左手奥にウ離島が見える。
ぽつんと東屋が建つパーキングがあった、「野原崎展望台」という名前がついていた。
ヨナラ水道を挟んで向こうに小浜島を眺める。
ここから南西よりに進むため、少し逆光ぎみです。
再び工事区間が、本当によく工事をやっている。おそらく歩道造成工事だと思われる
工事区間終わり、ここから先は歩道が設えてあった。
歩道がどれほど必要なのか、なんてことは言ってはいけないだろう。
「与那良橋」(1980年5月竣工)で与那良川を渡る。
由布島への案内板。
水牛に引かれて牛車でのんびり海の中を向かいの由布島まで渡ることで有名な観光地。 が、残念なことにそんな有名観光地も、このとき既にいつもの"時間がない"レッドアラートが灯っており、 遠くから眺めるだけで寄ることなく通り過ぎた。
海から離れ、緩やかに丘を上っていく。
小高い丘を越え、またゆっくりと下っていく。
この辺りは少し道がくねくねしている、とはいえ向こうまで見渡せ、見通しは良好だ。
「相良橋」(1981年3月竣工)で相良川を渡る。
ここでもイリオモテヤマネコが渡るのだろうか、それとも減速帯なのか。
「後良1号橋」(しいらいちごうばし:2001年3月竣工)で後良川を渡る、渡った向こう後良2号橋との間に後良ロードパークがある。
「後良2号橋」(2001年3月竣工)で後良川を渡る。
古見地区にはいる、久しぶりに人里だ。 この辺りでガソリンがかなり心許ない状態になっていたので、 道行く人に尋ねてみたら大原に行くまでないらしく、この先怖々進んだ。
「前良橋」(まいらばし:2000年9月竣工)で前良川を渡る。
ここからはしばらく道中で一番山深いところを走る。
「赤井田橋」(1978年2月竣工)で赤井田川を渡る。
この辺りは、今までの2車線と較べ幾分狭く感じる。
線形が少々きついためか、現在真っ直ぐ橋を渡す工事をしている。
バスとのすれ違いにも少し圧迫感を覚えた。
線形がきついといっても、その辺にいう山道に較べると遥に走りやすいが。
道中工事していた中で最も凄い区間だった、なんといっても舗装がなく土の上を走らされたのだから。
工事区間を抜け出す。
青空が気持ちいい。
「後湊橋」(しいみなとはし:2008年2月竣工)後湊川でで渡る。
遠くに人家が見えてきた。
大原中学校の前で左に大きくカーブを描く。
「仲間橋」(1992年3月竣工)で仲間川を渡る。仲間川は、西表島を代表するもう一つの川だ。
親柱の上にはイリオモテヤマネコが。
このカーブを曲がったところにガソリンスタンドがあり、ほっと一安心。
大原地区を行く。
西表島のもう一つの玄関口「大原港」の入口「大原」交差点、県道はここを直進する、港へは左折。島に存在する二つの信号機の内、もう一つがここにある。 [地図]
久しぶりのヘキサ。
右手になにやら大きな建物が見えてきた。
西表島に路線バスをもつ西表島交通の社屋兼整備工場だ。
何がいいって、他のバス会社より譲り受けた中古車を塗装を変更せずそのまま使用(写真は都営バス)していること。 塩害によりバスが傷みやすいため、中古車を購入し早いサイクルでバスを交換していっているらしい。 塗装を変更しないのも、そういった費用の面もあるのだろう。
「大原橋」(1981年3月竣工)で大原川を渡る。
小さな川でも、なんだか西表は雰囲気が違う。
高台へ上っていく。
この辺りには畑が広がっている。
「子供いるよ」「危」という看板があるのだが、その横のかかしが怖い、これが子供…なのか!?
再び集落が見えてきた。
豊原地区にはいる。
西表の一番南にある集落だ。
豊原にあったバス停には「日本最南端のバス停」の文字が。 ヨナグニ交通が機能していない現在、"日本最西端のバス停"も実質、営利事業を行うバス路線では西表島交通の何処かの停留所になるだろう。
集落の端へ、右奥に赤いバスが止まっているが、二時間ほど前に干立の辺で抜いていった路線バスだろう。
ここで歩道付きの広い道は終わっている、タイヤ跡は右へ多く続いている(多くはバスだろう)が、直進はあまり使われていないのだろうか。
南風見の豊原集落端で県道は終わりを告げる、道はもう少し奥まで続いているようだが、ヘキサの下にはしっかりと「終点」の文字が。 [地図]