天王谷を北区へと上っていくと眼前にダムが現れ、
その横に穿たれた「小部トンネル」(竣工:1973年3月 全長:482m)へと道は吸い込まれていく。
現在は「天王ダム」によって下流部の姿が変わってしまっているが、
旧道はここで一旦川を渡り右岸へと移っていた。
←写真にカーソルを合わせると当時の線形が表示されます。
天王ダムは治水ダムという性質上貯水を行わない為、湛水池内の旧道トレースは容易に行える。
また河川敷はスポーツガーデンに有効利用されている為、旧道は未だ使用され現役である。
手前に延びてきている道が旧道、堤体に吸い込まれスパッと道跡が消える。
昔の護岸工が残る、石垣ではなく谷積みコンクリートブロックだったと思う。
今は見る影もないが、この辺りに水呑の集落があったはずです。
この先で道が分岐しているが、当時の分岐点はこの辺りで、
丁度中央付近に見えるコンクリート擁壁の辺りに
旧国道と旧県道の交差点があったと思われる。
旧道の大部分は、スポーツガーデン内の道として現役
分岐し渡河して直進している道は、現在は「県道52号 小部明石線」として指定を受けている県道の旧道。
「小部橋(おおぶばし)」(昭和40年3月架)単径間のPC桁橋で
高欄と地覆は架橋後改良を加えられているようだ、
橋台もこれは補強されたのだろうか?
右折後、しばらくは旧道跡ではないスポーツガーデンの為に整備し直された道が続く。
グランドが終わった、この奥ですぐに旧道らしさを取り戻す。
川筋に沿って真っ直ぐ延びる旧道。上に架かるは県道の現道で
国道から分岐してすぐに渡河している。橋名は旧道と同じく
「小部橋」だが読み仮名は"おぶはし"となっていた。
昭和51年12月架の二径間単純鋼床版箱桁橋
ここで旧道は川に沿って大きく右へカーブしている。
現道は上を真っ直ぐに渡河しているのだが・・・ここで新たな発見が!
現道の橋の下に、どう見ても橋台と思われる跡が現存していたのだ。
資料から紐解くとどうやら元々この地点で旧々道は真っ直ぐ渡河していたが、 現道を築くにあたって、旧道の様な線形に一旦道筋が変えられ、 右岸の旧々道および橋は取り壊された様である。 昭和49年の段階では既に付け替えられていたのは確かだ。
新道の造成と旧々道からの付け替えにより、大きくカーブを伴って川沿いに進む。
洞川左岸に残る旧道跡はここでぱたりと途切れてしまう。 僅かに残る白線跡を辿ると、どうやらここで右岸へと道筋を変えていた様だ。 このことからも、付け替えの為だけに、 旧々道から現道を大きく回り込んで一旦付け替えられていたことが解る。
旧道はここで斜めに川を渡り左の現道へ接続していたようだが、 その跡と思しきものは川底のそれらしいコンクリート遺構でしか認めることは出来ない。 資料からは、どうやら橋ではなく、河川を暗渠にして道を通していたらしい。