嘗てここに隧道があった、県道指定されないと道ネタにならないが、 指定されると開削されるとは、我々にとっては痛手の極みであった。 それも、開削されたのは平成11年と聞く・・・そのころこんな趣味持ってないよ、 この言いしれぬ消失感は何だ!
嘗てここにあった隧道は、名前はハッキリとは解らないが明治22年竣工で、全長37.4m、巾2.2m、高さ1.9mと、
モータリゼーションの時代の中にあって、とてもじゃないが現役で居られない道路トンネルであったことが伺える。
丁度立ち話をされている方にお話を伺ったところ、大変気さくな方で、
わざわざこの暑い中様々なお宅に一緒に聞いて回って頂けた、感謝多謝です。
曰く、なんと平成11年までは隧道はあったとのこと、しかしながら、
此の道が県道指定されたことにより、今の規格に全く適さない隧道は開削されて今に至るんだそうな。
町から県議に出馬した方が、公約で県道に指定する、と言うのがあったらしく、
お陰で、晴れて県道指定されたとか何とか・・・
両側の坑門のみ煉瓦巻で、隧道中央部は素堀のままであったとのこと。
子供の頃は、この隧道がかなり怖かったとか、近年でも蛍光灯一本だけだったらしい。
祭の際、この辺りの集落からも大太鼓を出すも、太鼓ですら隧道に引っかかるため、
仕方が無く、隧道の上の道を回して運んでたそうです。
旧峠道、と言った類のものではないらしいですが、地山はそんなに高くなく、
鞍部も今とあまり変わりはなかったようだ。
【おまけ】
近所にある素堀のトンネル、少なくとも明治以前のものらしいが、現役でかなりしっかりしている。
でも、これ私道なので要注意です。(許可っぽいものを戴いてから撮影。)