鐘ヶ坂峠とは、古く丹波と但馬を結ぶ道の要衝ではあったが、
峻険な山に阻まれた道は険阻な山道で峠を越えるしかなかった。
しかし明治十六年に村人の熱い要望により道路用煉瓦隧道として最古と言われる
「鐘ヶ坂隧道」がこの峠に穿たれたのであった。
現在は兵庫県東端を南北に繋ぐ3桁国道が最新工法による大断面のコンクリートトンネル「新鐘ヶ坂トンネル」(竣工:2003年10月 全長:1,012m) により
この地を山に登らずして越えている、ここの素晴らしさは孫までトンネルがあるってトコロ、親子三代揃い踏み。
旧道と旧々道の分岐点、奥に見えるのが昭和に入って穿たれた「鐘ヶ坂トンネル」(竣工:1967年5月 全長:455.0m ※2008年12月24日に閉鎖) 右手にアスファルト舗装の道があるが、これは「兵庫県道138号 追入市島線」、 写真にカーソルを当ててもらうと解るが、旧々道はこの看板の方へ延びている作業道らしき道
数々の道路・土木・心霊系サイトで語られているので、今更私めが語るほどのものは何一つ無い。 でも、敢えて語るとすればコレ、よぅく見てください、左の方に分かれていく道の様なものが・・・ 2004年10月に訪れた写真と、2005年2月に「R173-NET」主催による合同探索時に 撮った写真とが多少入り交じって見苦しいが、ご勘弁願いたい。
隧道に至る途中で、ある不自然な分岐を発見した。(上の写真がその分岐地点) どっからどう見ても道に見える、また山へ分け入っているわけではなく、 カーブを描いた再び旧々道へ戻っているようなのだ。
明らかに不自然で人為的な平坦部がカーブを描いている、 中央付近も沢が暗渠となっていたようだし。
これは、どうみても道路であったことはまず間違いないと思う。 この先は旧々道へと接続している(旧々道により切り取られてはいるものの)が、 しかしながら、この道らしきものが旧旧々道であるという確証はない。
山からの流水により少し深めの洗掘が見られる、またぬかるんだ箇所もあり。 ORRのへなりさんや、R173-NETのあきらさんの話だと、とてつもない藪だった様だが、 公園化のための調査の手が入っているのか下草は刈られ進みやすかった。
この左カーブの先に隧道がひっそりと眠っている。この辺りからただならぬオーラが感じられる。気がする。
少し山肌を切り開いたところに其れは口を開けていた。 こんな山中の忘れられたところに、こんな道路遺構があるなんて俄に信じ難いと、 最初に来た時はそう思った。とても不思議な空間なんだよね。
朽ちて山肌に横たわるカーブ注意の旧標識。
有栖川宮熾仁親王筆の「事成自同」と書かれた扁額。 その下には鶴の彫刻も見られる。 この頃の事業と言えばどれもこれも一大事業といえ、 少しばかし意匠の凝られた装飾が成される。 ただの交通の円滑化だけが目的ではないということだ。
隧道建設費の寄付者名簿が掘られた石版。
隧道坑口にはこうして金網が張られてはいるが、 いつ頃誰が空けたのか左下の網は取り払われており、そこより進入することが出来る。 幾つもの踏跡があり来訪者は後を絶たない様だが、 大してゴミもなく不法廃棄物もない。
丹波市側に向かって僅かに傾斜している。 この隧道の面白いところは、道路法により、大改修を受け底下げられている。 洞内両側下部に見られるコンクリートの部分が掘り下げられた部分か。
白いのは黴びているのだろうか? 所々に煉瓦の崩落も見られる、現役を退き補修もされないままなんだから当たり前か。
中間にある氷上郡と多紀郡の郡界表示。
洞内の煉瓦二重撒き部分。
坑口上からの沢水で丹波市側は水が溜まっており、通り抜けは事実上困難だ。 カーソルを画像に合わせてみれば、水と戯れる漢たちが・・・(笑