@レポート:宗行→才金(逆順)
宗行で国道373号から分岐する。
r524はここを左折する、R373は直進。
[地図]
宗行の集落を行く。
道幅はそのままだが、路肩の白線はこの先のダートに向けて収束している。
2009年
軽自動車でも怪しい幅まで狭まる。
ほだ木が立てかけてあった。
2か月前の水害の跡がここでもみられる、どうやらこの小さな橋のお陰でここで土石流が止まったようだ。
まだ新しげなお墓があった。
作業小屋を発見。
獣避け柵に阻まれる、失敬して向こう側へ。
獣避け柵の向こうから急にその斜度が上がる。
杉林の中へ。
洗堀がひどい。
車が入ってきてそうなくらいに綺麗。
これも水害の爪痕なのだろうか?
道はガレガレ。
ここのきて倒木が道をふさぐ、今般の台風のせいではないようだ。
その先にも倒木が続く。
かつては西側の江川川沿いにある福澤地区から平福の陣屋に向かう道として利用されたとかなんとか。
少し谷を回り込んでいる。
峠に向けて最後の上り。
峠手前にある高さ制限バー。
この峠より先は大塚という地名で、谷は大塚谷といい、この峠左手向こうは大塚峠という地名が付いていることから
この峠を便宜的に大塚峠と呼ぼう。
峠には少し上ったところにお堂が建っていた。
もともと峠の地の上に立っていた地蔵をお堂を立てて安置したのではないかと思われる。
峠より下りに入る、妙に向こう側が明るい。
土砂崩れでもあったのだろうか、当時のことは覚えていない。ただ、先の台風は関係なさそうだ。
道はしっかり続いている。
道横には小川がある。
明るい杉林を抜ける。
大塚側の獣避け柵、ここからアスファルト舗装が復活する。
2021年
わずかに残っていた路肩の白線もすっかり消えてしまっている。
左手にあった畑がなくなっている。
昔見た小屋とは違う小屋が建っている。
冬に訪れたというのもあるが、辺りがすっきりしている。
風景がすっかり変わってしまっている、左手の木々や小屋もなくなり正面に砂防ダムが見える。
すっかり明るい。
獣避け柵は今なお残る。
昔と違ってありえない結構な斜度でコンクリートの道が上っている、右手には岩がむき出し。
コンクリート舗装の上に落石と枝が散乱しており転倒の危険もあることからバイクで行くのは断念した。
ダム天端まで登ってきたが、そこから先がこれ。
通常砂防工事で作られた峠谷川堰堤(2012年10月竣工)を裏から。
道は続くがススキ野原。
ススキの植生が少し薄くなった、右手の斜面は岩がむき出し。
道ができてからの倒木。
砂防工事に際して元の道の上方に新たに道を付けたものと思われる。
砂防指定地の上端。
峠谷川堰堤貯水池側を正面から。
倒れてからずいぶん経つようだが前来たときはなかった。
この辺りから従来の道に戻る。
倒木は相変わらず。
しかし、その先がどうにもおかしい。
結構な洗堀がある、往路では道と認識できなかった(そもそも1度訪れてたのをスッカリ忘れてたんだけど)。
中央の洗堀に目をつぶると確かに“道”がそこにある。
峠に向けて最後の上り、今度は倒木がある。
峠手前にある高さ制限バーは相変わらず。
大塚峠(仮称)の倒木は1本増えていた。
お堂も健在。
しかし、地蔵の前掛けはなくなっていた。
下りに入るが、以前訪れた時と様子が違う。
以前土砂がドシャーっと崩れたかしらんのところはそのままなのだがそれにもまして回りが明るい。
そう、周りの山に気がない故に明るい、再植林するのだろうか?
少しヌタっていた。
道沿いの小川というか溝はそのまま。
ここらあたりは林の中。
獣避け柵は現存。
柵の向こうは少し広場となっていたがそこからは1車線の道が続く。
路肩にが白線が現れた。
何故かここからコンクリート舗装に。
60m足らずのコンクリート舗装が終了する。
大塚谷を下っていく。
池への道が分岐している、県道は直進。
この谷にもまだ何枚か現役の田がある。
山の際を行く。
民家が見えてきた。
県道はここを左折する。
大塚の集落を行く。
あまり対向車が来るとは思えないが、見通しが悪いので注意。
福澤で「兵庫県道240号 下庄佐用線」が合流する。
r524はここを右折しわずかにr240と重複する、左右の道がr240。
[地図]
福澤で「兵庫県道240号 下庄佐用線」が分岐する。
r524はここを左折する、r240は直進。わずか40m足らずr240と重複している。
[地図]
民家の間を行く、道幅はあるが路肩の白線で絞られている。
「大塚橋」で江川川を渡る。修繕されたか架け替えられたかで現在はきれいな橋になっている。
江川川と西河内川と山に挟まれたこの三角形の土地に何軒か民家があった。
「尾鼻橋」(おはな)で西河内川(にしがいち)を渡る。
緩やかに上っている。
大平・綱手集落を行く。
鑓飛(やりとび)集落に入る、西河内市区の中でも一番大きな集落か。
少しだけ西河内川に沿う部分がある。
川沿いは少し狭かったがまた道幅が広がった。
左折すると「乙大木谷の棚田」「田和の棚田」に向かう。
この先県道をたどる必要がなければ、ここを左折したほうが2.7km程短い、県道はここを直進する。
[地図]
この地は「陰陽師」に関係が深く、安倍晴明(陰陽寮)と蘆屋道満(法師陰陽師)が戦った場所なのだそうで、この交差点手前にある西河内川を渡る「鑓飛橋」という橋は伝説によると晴明と道満が式神を使い壮烈な戦いを繰り広げた場所なのだそうな。
直進した先の大猪伏には「晴明塚宝篋印塔」が、左折した先の植木谷には「道満宝篋印塔」がそれぞれ600m隔てて向かい合って建立されている。
山麓から山の斜面に向かって情報に家々が建っている。
瀬戸集落への道が左に分岐している。
集落内、少しずつだが確実に谷を上って行っている。
大猪伏の集落を行く。ここを右折すると小猪伏を経てr240に出られる。
[地図]
空集落への道が分岐している、かっこいいな「空」って集落名。
右手に分岐している道に行くと淀方面にr161に出られる、県道は左側。
[地図]
この先南向きに進路を変えてなお上っていく。
左手の山越えた向こうの乙大木谷棚田ほどではないにせよ、こちらも棚田が美しい。
ぐいぐい山の上へ登っていく。
結構上ってきたのに集落が見えた。
樺坂の集落を行く。
集落を出てもまだぐいぐい上っている
ここから少しワインディングがある。
少し森の中を走る。
道幅が少し広がった。
と思ったら広く取られた路肩が。
山の上にポツンと一軒家。陶器専門店だそうだが竹細工もやっているようだ。この左手に峠の展望台とそのお店の無人販売所がある。
樺坂峠を越える。かつての上月町との町境かなと思いきや、それは写真11枚前の辺りだったようだ、また中途半端な。
ここから一転下りとなる。
すぐに人里が見えてきた。
上桜山の集落を行く、右に桜山六人塚への道が分岐している。
集落を出るところでこれまた極端にキュッと絞られる。
桜山川というか水路がすぐ横を流れるがデリネーターが建っているだけなので注意。
右の路肩や向かいの斜面も少し崩れたらしい。
山道らしい山道に。
少し急なカーブ見通しが悪いためカーブミラーがついている。
この区間の下り具合が急で、一気に標高を70m程落としている。
再び人里が見えてきた。
下桜山の集落を行く。
上桜山と違いこちらは斜面に集落を形成していた。
集落から出る。
下りが落ち着いたところで右手にシミ谷池や桜山鉱山跡へ向かう道が分岐している。
「桜口橋」で三度桜山川を渡る。
谷間に開けた田んぼ。
また人家が見えてきた。
「金子橋」(かなご)で四度桜山川を渡る。
金子の集落を行く。
なんと久々に2車線が現れた! 久々と言ったが……単独区間では初めてやん、というか最初で最後。
お約束、すぐに狭まる。
写真40枚前の箇所で左折すると、ここを左からやってくる。
[地図]
山に沿って右カーブする。
沿線最後の集落。
少しの間だけ川と並走していた。
船戸(ふなんど)の集落を行く。
才金で「兵庫県道124号 宮原力万線」にぶつかってr524は終わりを告げる。
左右の道がr124。
[地図]