@レポート:八保甲→高田(逆順)
八保甲で「兵庫県道90号 赤穂佐伯線」から分岐する。
r385はここを直進する、r90は右折。主要地方道ながらぼんやりと走っているといつの間にかr385に入ってしまっている。
[地図]
分岐すぐに県道標識がある。
「兵庫県道385号 高田上郡線」県道標識。
名村の集落を行く。
左折すると梨ヶ原方面へ国道?号に出られる。 [地図]
NTT船坂別館の前で中央線が黄色実線から白破線へと変わる。
この先に「安室ダム」があるが、ダム建設により道を付け替えてr90の今のルートとなったわけではなく、r90もr385も元から道はあった。
川に沿って曲がる。
金内の集落を行く。
少し大きめの集落だ。
集落の中で少しくねくね曲がっている。
集落からの道が合流する。
左の茶色い壁が終わったあたりに「金内筆塚」なるものがある、観音院先生塚ともいい寺子屋を設立した藤本観治(観音院観空)の門人らが偲んで作った塚だそうな。
山と川が接近し狭くなったところを走る。
集落から離れたところにポツンと一軒。
まっすぐな道。
別所原の集落を行く。
高山神社の鳥居。
中央線がなくなった……のではなくここからスッカリ消えてしまっているようだ。
大石の集落を行く。
右方背向屈曲ありの標識が掲げられている。
標識の通りカーブが出現。
別荘地へ向かう上郡町道鍋谷線が分岐している。
この辺りから安室川に沿って進む。
再び集落が見えてきた。
宗末の集落を行く。
集落から出ていく。
思えば最初から歩道が設えられている、この道を整備(ダム建設に合わせて?)した当初からなのだろうか。
谷も狭まってきた。
宗末集落から山際に細々続いてきていた道が合流している。
右に大きなスペースがあった。
行頭(ゆきとう)集落を行く。
「行頭橋」で安室川を渡る。
どうやらこの先道幅が狭くなるらしい。集落が終わったからかな? と思いきやこの奥に延野集落があるというのに、悲しい。
中央線がなくなり道幅が狭くなる。
川向うの田んぼに渡る橋が架かっていた。
待避スペース。
左手にはかつて養鶏場だかがあったようだ。
行頭で上郡町道延野皆坂線が分岐する。 r385はここを左折する、町道延野皆坂線は直進。直進すると安室ダムを経てr90に出られる。 [地図]
曲がってすぐに安室川支流の小川を渡る。
一軒建物があるが、人家だったかどうか。
車一台分しかない舗装路が奥へと続いている。
杉林の下の路面は落ち葉が積もっているものの轍の通り落ち葉が避けられておりそれなりに車の往来があることがわかる。
過去に土砂崩れでもあったのだろうかコンクリートブロックの法面擁壁があった。県道だから、なのか?
川側にはしっかりとデリネーターまで設えられている。
何か見える……なんと人家だ! そう、整備されているのも車通りがあるのも人が住んでいたからなのだ。 もちろんしっかりと人は住んでおり2回目に訪れた際ちょうど家人が帰ってくるところに遭遇した。
そしてその民家を過ぎたと同時に舗装路も終わる。
その奥にも轍は続いている。
しかしそれも途中から見られなくなった。
小川に沿って走る。
しっかりと整備された林道だ。
一応県道。
しかし、最初に訪れた際はこのように洗堀のある荒れた状態だった。
ここ最近車が入ってきたような跡はないもののこうしてしっかりと整備されている道なのだが。
かつてはこのようにかろうじて道のようには見えなくもないが植生の張り出た道だった、また左手は路盤が決壊していた。
少し広場のようになり道が二手に分岐している。
かつてはこのような荒れた状態であり、洗堀どころかどちらも土石流跡がみられた。
ちなみに県道は左側を行くのだが。
初めて訪れた際はこのように土石流跡があり道のようには見えなかった。
分岐から道は上りの勾配が増しているのだが。
初めて訪れた当時は倒木もあり道らしく見えなかったためここで引き返した。
しかし、その先で驚愕のものを発見する。廃屋が現れた、しかもこれはどう見ても民家だ
廃屋のところに門柱がありチェーンが張られていた、分岐点(5枚前の写真)の「この先通行止」はこれのことを指すのだろうか。 ちなみに、この山道区間は実は岡山県側から探索をしており、このレポートは兵庫県側(24枚前の写真)からの帰り(復路)であり、 往路で「通行止」等の看板はなく従ってそれを無視してこの先進入したわけではない事だけは伝えておきたい……調べてみると(参考)この廃屋は民家ではなく「ふる里開発センター」というものらしい。 初めて訪れたときは2005年で、その時点で道は決壊しておりその奥にとてもこのようなものがあるとは思えなかった、ちなみにチェーンではなく立派な門扉があった様子。
倒木が道をふさいでいた。
ここからさらに勾配が増した。
ぐんぐん上っていく。
再び何やら建物が見えた。
砂利が敷き詰めてあるようだ。
砂利の道は洗堀があった。
洗堀は上から続いている、そりゃそうだ。
先程の建物、どういったものかはわからないが廃屋には違いない様子。 しかもどうやら一度建て替えられているようにもみえる(参考)、もちろん別に建物があったのかもしれない。
道はさらにぐんぐん上っていく。
深い森の中といった様子ではない。
土管が埋設してあった。
そうくねくねせず上っていっている。
しかし、植林された杉林といった風でもなく、いったいどういう林道なのだろうか。
道はここから左に急カーブで曲がっていくのだが、県道は林道から外れ右へ山の中を行く。 楽したければ林道を直進する方がよい。 [地図]
車道ではなくなってしまった。
左に折れる。
しっかりと道と認められる。
しかし落石が多い。
ここから九十九折れている。
右に折れて。
すぐに左に折れる。
ここからはまた直登する、まったく人も歩いていないのかふかふかの落ち葉の堆積と倒木で歩きづらかった。
倒木に加えて落石もあってなお歩きづらい。
ここで別れた(10枚前の写真)林道と再び出会う、そりゃそっちの方が歩きやすいんだけど県道調査だしさ?
峠のように見えるが実は峠ではない、林道造成により切り通されたのだと思われる。
「オク田」と書かれた石柱が、境界標石なのだろうか。
ここから少し下る、「峠ではない」といったのはここで別の谷筋に移っているだけなのだ。 いや、それも峠というのかもしれないが。
林道はこの奥へと続いているが、県道はここを左に入る。現在は沢に落下してしまっているが、かつてはこのちょっとした沢を渡るための橋がかけられていた、写真に左端に見える。 [地図]
県道は実はこの左手の谷を下るコースになっているが、道がないためこの奥へ続いている山道を行く。 とはいえ参考にしている国土地理院地図がそもそも的確なルートを指しているわけでもないだろうからどうでもいいといえばどうでもいいことなのだが。
歩きやすいトラバースルート。
昔の人は良く歩きやすいところを見つけたものだと感心する。
倒木さえなければバイクで走れる。
まぁそれにしたって木ってのはよく倒れるもんなんですね。
随分と朽ちた倒木、朽ちてから倒木したのか倒木してから朽ちたのかはわかんないけど。
この時水の流れはなかったが雨の時流水が削るのだろう、ずいぶんと掘れていた。
明るくそれなりに歩きやすく楽しい。
ハイキングで訪れる人はいるのだろうか。
ここで少し右に曲がっていく。
谷底との高低差がなくなってきた。
この辺りで山道が不明瞭になった。
ここで道らしきものが途切れる。
左に折れて川を渡る。
渡ってすぐの広場、道がわからない。
が少し向こうに進むと道が見つかる。
峠までまっすぐ。
「才ヶ峠」に到着、ここが兵庫県道の最西端。
岡山県境の標石。
峠には地蔵菩薩があり「文政四巳年 六月日」と書かれている。首のところで切れているのは廃仏毀釈の関係だろうか、 しかしその際首をそのまま転がしていたのかそれともどこか別に安置していたのか……よく戻ってきたものである。
ここにも「オク田」と書かれた石柱が。ここから岡山県道。
峠を越え下りに入る。
地図上はこの谷を下っているが道はない。
積まれたわけではないのだろうが、枝が折り重なっていた。
ぐんぐん下っていく。
地図上の県道指定から大きく外れ北へ振っている。
岡山県側もこうしてしっかりと山道が続く。
こちらも倒木に悩まされる。
谷底まで下り切ってここで左に折り返す。 [地図]
何故か廃道や山道でよく見かける碍子。
なんとなく平場。
道のような道でないような。
水の流れのない谷底を下っていく。
やはりちょっと道と認められようはない。
地図上の県道指定に従うと左手のここから下りてくることになる。
少し下り勾配が増す。
先達によるものかそれとも林業関係者によるものか、木にピンクのリボンが結わえられている。
落石や倒木があるが乾いた谷底だ。
いや、よく見ると水の流れのありそうなところの岩が湿っている、水はあるようだ。
川らしきところっとは別に平場があるように見えるが道ではなさそうだ。
その平場がここで川らしきものと交差する、やはり道として一度は整備されたものなのだろうか。
こうしてみると道のようである。
しかし、倒木やら落石やらがひどい。
だが、道らしきところに倒れこんできていたのであろう倒木はしっかりと切断処理されている。 。
明るいしそれなりに人の手が入った杉林なのだろう。
杉の葉が堆積して歩きにくい。
ちょっと道らしきものが不明瞭になる。
川なのか道なのか。
この石の多さは落石というよりも土石流でも発生した後なのではないだろうか。
ここでなんと人工物を目にする、かまどか何か?
左の沢から石がたくさん流れ出してきているようにも見える。
ここからはっきりと“道”となる。
倒木と大量の石、やはり土石流が発生したのではなかろうか。というのも、昔岡山県側を訪れた際、石は当時も多かったもののここまで荒れてはなかったのだ。
水が流れ下ったのか以前より掘れている。
何か丸太を積み上げたものが見える。
横断溝のために丸太で組んだ排水溝だったのだけど、それがすっかり底が露出してしまっている。
倒木も隕石もあり近年車が入ってきたことはないようである。
ここも路面を水が洗った跡が。
右手に山の上へ延びる作業道が分岐している。
振り返って撮影。左に山の上へ作業道が伸びる、2011年に訪れた際はなかった。
ここで川を渡る。
何やらゴム板の生えた木材が埋められている。
県道より北側は「寸尾山国有林」というらしい、つまり先ほどの作業道は国有林に向かっている。
思えば2011年に訪れたときは、作業のために整備しなおされた直後だったのかもしれない。 今のように葉が堆積しておらず土が見えた。
染み出た水が路面を濡らす。
再び人工物、井戸のようだが井戸などではなかった。
おそらくこれは路面の洗堀を防ぐ横断排水設備工と思われる。
落ち葉がふんだんに積もっている。
簡易獣避け柵。
高田で「岡山県道368号 吉永下徳久線」にぶつかってr385は終わりを告げる。 左右の道がr368。 [地図]