@レポート:上福原→西山橋
「吉永」交差点で「岡山県道96号 岡山赤穂線」から分岐する、また起点からしばらく「岡山県道261号 穂浪吉永停車場線」と重複する。
r368はここを左折する、r96は直進、左右の道がr261。
[地図]
分かれてすぐは2車線ない。
「閑谷道踏切」でJR山陽本線を渡る。
左カーブのようだが一応十字路。
吉永の町内を行く、民家が立て込んでおり歩道もなく路肩も狭いため歩行者等に注意。
「↑和意谷7km|20km八塔寺ふるさと村→」という観光案内の青看板。
吉永中で「岡山県道261号 穂浪吉永停車場線」が分岐する。 r368はここを右折する、r261は直進。 [地図]
こちらも民家が立ち並んでいる。
まっすぐで見通しは良いが歩行者には気を付けよう。
右手に備前市吉永総合支所(旧吉永町役場)がある。
総合支所前の交差点を過ぎたところから中央線が現れる。
以降も少しまばらになるものの民家が立ち並ぶ。
押しボタン式信号、左手に中学校があるため生徒に注意。
少し行くと2車線がなくなってしまった。
ちょっと狭い。
合流するらしい。
線形を見るに以前は県道のほうが主であったようだが、現在は左手からくる道に合流する形になっている。
1990年前後に川挟んで向かいに工場ができた関係でこういう交差点になったようだ。 左からやってくる道もr96から分岐しており、県道をたどる必要がなければそちらのほうが走りよい道だ。 県道はここを右折する。 [地図]
ここから再び2車線となる。
と思ったのもつかの間なくなった?
だがしかしすぐに黄色実線として復活。
「岡山県道368号 吉永下徳久線」県道標識。
川とともに右にカーブしていく。
大きな工場の建物横を行く。
もう一つ並んでいる。
頭首工があった。
「細丸橋」で八塔寺川を渡る、橋前はカーブになっているので速度に注意。
板屋集落を行く。
左急カーブ注意。
再び大きな工場建屋が。
工場建屋を過ぎて右にカーブする。
山の際が迫っていた。
「西の谷川橋」(1978年3月竣工)で谷川を渡る。「西の谷川」と付いているが、西の谷川はここから少し北に行ったところを流れており、この川らしきものは西の谷川ではない。ややこしい。
ここにも大きな工場があるが、これまで見てきたのはすべて同じ鉄鋼会社のものだった。
「西の谷橋」(1977年3月竣工)で西の谷川を渡る。
原の集落を行く。
中原集落への道が分岐していく。
県道は集落をパスしている。
中原集落からの道が合流する。
八塔寺川の流れに沿って北上する。
幼稚園の前を通る、園児に注意。
右に植わってるの桜かしら。
橋を渡るのに右カーブする。
「丸山橋」(1966年3月竣工)で再度八塔寺川を渡る。
橋を渡った向こうもまた急カーブが待っている。
ちょっと杉林。
「網目橋」(1971年3月竣工)で三度八塔寺川を渡る。
下門出集落を行く。
ググっと山が迫って川とに挟まれる。
ここで急カーブ。
谷にはまだずいぶん幅がある。
上門出の集落に入っていく。
「小原橋」(1968年3月竣工)で四度八塔寺川を渡る。
ここも橋を渡るとすぐにカーブが待っている。
集落の家々は道路から少し離れている。
ゆるく右カーブ。
左手に養鶏場があった。
「飼谷橋」(かいだにばし:1972目3月竣工)で五度八塔寺川を渡る。
川が蛇行している間をまっすぐ進む。
「高田橋」(※ハシゴ高:1973目3月竣工)で六度八塔寺川を渡る。
南谷の集落に入っていく。
山と川に沿って右に急カーブする。
ここからは山の際に沿って進む。高田で「岡山県道385号 高田上郡線」が分岐する。 r368はここを直進する、r385は右折。分岐するといっても通行可能な車道はない。そして路面には消された「40高中」。 [地図]
川に挟まれて山際を進む。
旧道が分岐する、この先旧道はダムに飲み込まれて終わる。
ここから勾配が増す。
まっすぐ上っている。
「南谷上橋」(みなみたにかみ:1982年3月竣工)で寸尾谷川を渡る。
消された「40高中」。
左に行くと八塔寺川ダム。
ダム湖畔に新たに作られた道はまっすぐ。
「大杉谷大橋」(1984年3月竣工)で八塔寺川ダム湖を渡る。
親柱―とは言わないか、独立しているし―は何故か石貨? だった。
切通しの急カーブ。
次いで左カーブ。
山肌を削って道がつけられている。
「八塔寺大橋」(1986年12月)で七度八塔寺川を渡る。
親柱は池田光政が八塔寺に寄進した梵鐘を模したものだそうな。
八塔寺大橋を渡るとすぐに火内坂トンネルに入るが、間にダム湖周遊道路があるので注意。
「火打坂トンネル」をくぐる。
トンネルを出てすぐ向こうは緩やかな右カーブになっている。
カーブ注意の反射板がずらり。
カーブ注意の反射板がずらり。
「紅葉橋」(1986年3月竣工)で八度八塔寺川を渡る。
八塔寺川ダムの周回道路が合流する、トンネル前で交差したものではなく八塔寺大橋を渡る手前で分岐した道だ、ちなみに旧道でもある。
斜面を大きく削り取ってある。
どうやらかつては白破線であったらしい、黄色実線が剥げて下地が見えている。
「新三国橋」(1985年3月竣工)で九度八塔寺川を渡る。親柱は俵の形をしているが、それには以下の由来がある。
新三國橋の親柱について
この橋は、八塔寺ふるさと村の入口にあたります。このため橋の親柱にこの地に古くから伝わり親しまれてきた、民話「茶の実」の杢兵衛と俵を取り入れて、長く後世に残すこととしました。
「茶の実」の由来
池田綱政が後楽園の一隅に茶畑を作ろうとして、その実を領内に物色したあげく、八塔寺地区から取りよせることになり、茶の実を俵に入れて出せとの命が、上役から八塔寺の庄屋に伝えられた。
ところが、茶の実が茶飲みに間違えられた。村では種々の協議の末、杢兵衛さんが、茶をよく飲むからと、少々風邪気味で寝ていた杢兵衛を俵に入れて、岡山へ行くこととなった。杢兵衛はどうなることかと、心配しながら城下へ着いた、 役人の指図で俵は、御前に運ばれ俵の口を解くと杢兵衛が出て来た。
これを見て、殿は「これが茶の実か。」とお尋ねになった。家老は「はーはぁ」と平伏したまま頭を上げない。「こんなものが生えるか。」とのお尋ねに「歳はとってもボドボド這えます。」と答えながら杢兵衛は這い出たので、 殿様はなるほど葉「歯」も出ているし花「鼻汁」も咲いてゐると大へんお笑いになった。
吉永の民族より吉永町文化財保護委員会編集 岡山県東備地方振興局
都留岐(つるぎ)で「岡山県道90号 赤穂佐伯線」が合流する。 r368はここを右折してしばらくr90と重複する、直進と右折がr90。 [地図]
大股集落内の道と交差する。
大股の集落を行く。
「大股橋」(1993年3月竣工)で十度八塔寺川を渡る。
わずかに上る。
700m程r90と重複する。
「小井手橋」(1994年3月竣工)で十一度八塔寺川を渡る。
左折すると、尾根伝いに山の上に広がる八塔寺の高原に向かう、県道は直進。 [地図]
左手に「大又桜園」なるものがある、桜の時期はきれい事だろう。
都留岐で「岡山県道90号 赤穂佐伯線」が分岐する。 r368はここを左折する、r90は直進。 [地図]
曲がってすぐも2車線ある道だった。
道に沿って電柱が並ぶ。
山奥に連れていかれる。
急カーブ。
なんだかこの先がキュッと絞られているように見える。
やはり絞られていた、ここで中央線が途絶える。
森の中の急カーブ注意。
「旭橋」(1982目3月竣工)十二度八塔寺川を渡る。
下畑下(しもばた)の集落に入る。
集落内ちょっとだけ狭くなっている。
ちょっときつめのカーブ、カーブミラーがついている。
「下畑橋」(1983年3月竣工)で十三度八塔寺川を渡る。
民家がまばらに建つ。集落から出る。
待避スペース(なのかな?)がある。
下畑上の集落に入る、地区的には「下畑」で連続しているのだろう。
少し道幅が広がった。
ここで初めて対向車に出会った。
何故かとっても幅が広がった、中央線はないけども。
原集落を経て八塔寺へ向かう道が分岐している、県道は直進。 [地図]
下畑地区を出る。
ミラーが必要かな? ってくらいのカーブだった。
笹薮を抜ける。
いつの間にか真横に川が来ていた、ガードレールもないので注意。
多麻で「岡山県道426号 多麻滝宮線」が分岐する。 r368はここを右折する、r426は直進。 [地図]
県道案内標識。
「出合橋」(1965年3月竣工)で十四度八塔寺川を渡る。起点以来八塔寺川に沿うように北上してきたが、ここでついにお別れとなる。「出合」はこの右手で支流が合流しているからだろうか。
細い谷間を駆け上がる。
割と急な勾配でぐんぐん上っていく。
少し開けた。
民家があったが集落ではない。
右手には耕作放棄されたらしい田んぼが並ぶ。
また谷が狭まる。
山の上に何件か人家がみられる。
ここを右折するとその山の上の東畑集落に行ける。
道は谷筋を行く。
人家が固まった集落以外にもぽつぽつと道沿いに民家が立つ。
再び辺りが開けた。
道も心なしか幅が広がった。
何かしらの事業所前を通る。
上り勾配も幾分か落ち着いた。
兵庫県佐用町に入る。
兵庫県に入った途端えらく道幅が広がった……のではなく待避スペースなのかな。
この右手に「涅槃像」があった、なぜこんなところに……?
左折すると、この先県道が下っていく秋里川の谷筋とは別の、西にある大日山川の谷筋へ向い西大畠方面にR179に出られる、県道は直進。 [地図]
ここから下りとなる、とたんに道がショボくなるのはなぜなのか。
右手は笹薮。
右に左に少しくねくね。
コンクリートブロックの擁壁に少し圧迫感を覚える。
待避所。
右手の笹薮がずっと続いてた。
左折した先には「西新宿おじいちゃんとおばあちゃんの花しょうぶ園」という菖蒲園がある。
擁壁が石積みだ。
左手は岩がむき出しの法面、いい感じで植物が生え苔むしていた。
再び石積みの擁壁が続く。
「空山橋」で秋里川を渡る。
久しぶりの人家、少し道幅が広がる。
「上神橋」で再度秋里川を渡る。
「マバタケ橋」(1963年竣工)で三度秋里川を渡る。
川側にガードレールなどはないので注意。
川とともにくねくねと曲がる。
少し膨らんでいる、待避所代わり。
この先斜めに川を渡っている。
「中才橋」で四度秋里川を渡る。
中才(なかさい)で「兵庫県道451号 西新宿上郡線」が分岐する。 r368はここを直進する、r451は右折。 [地図]
集落内で少しきつめのカーブ。
中才の集落を行く。
集落から出たとたん落石注意標識。
左手斜面にはガードレールを利用した落石防止と思われる柵が設けてあった。
「異常気象時通行規制区間」が始まる。
心なしか道幅が広がったような。
なんと中央線まで現れた。
通行規制区間によくみられる、電光表示板が引っ付いた「兵庫県道368号 吉永下徳久線」県道標識。少し新しげなしっかりとした落石防止柵が並ぶ。
中央線はなくなってしまった。
コンクリートブロックの擁壁と落石防止柵が物々しい、しかし川側にはガードレールの類もない。
ちょっと狭いブラインドカーブ。
カーブのところだけふくらみが持たせてある。
しばらくこんな道なので少々飽きる。
ここも狭いブラインドカーブ、カーブミラーもうちょっと向こうのほうがよくない?
川との間に杉林があるようだ、この先再び川沿いに出ている。
そしてまた右手に杉林、隙間があると杉を植えているのかしら?
左手は急な斜面、落石防止のガードレール、そして杉林。道は細いがまっすぐ見通しがいいのが救い。
右手に作業道が分岐していた。
思い出したかのように落石注意の標識、ずっと落石注意な道だったよ。
「横谷橋」で横谷川を渡る。
何かが終わったらしい。
橋を渡った向こうに退避スペースがあった。しかし、その奥はかつて駐車場だった様子、いったい何の!?
杉の落ち葉にまみれた道。
なぜフェンスがあるのかいまいちよくわからない、途切れたその向こうで林道が分岐している。
近年崖崩れでもあったのか、新しげな法面補修の跡。
なんだかとっても道幅が広まった(それまでの道比)。
左手の斜面、コンクリート法面ではなくちゃんと木々が生えている、冬だから灰色に見えるだけ。
2車線といわないまでも道幅が広がり下り勾配も落ち着いた。
「弥次郎畑橋」(やじろばた)で五度秋里川を渡る。
中央線引けそう。
谷間も広がった。
右急カーブに注意。
ゆるりとした下り。
右手に何やら看板が。
「異常気象時通行規制区間」起点の看板、つまりここが終点。
「東土橋」(とうど)で六度秋里川を渡る。
久しぶりの人家が見えてきた。
上秋里地区を行く。
待避スペース、集落に入る前にまた道は狭まっていた、とはいえそれまでの山間の狭さほどではない。
集落を出ていく。
隣の集落へ。
下山集落を行く。
以降、谷が狭まって広がってするたびに集落が現れる。
民家もぽつぽつと建つ。
川から少し距離をとる。
仁安集落を行く。
川向うに板垣集落を見る。
下秋里地区を行く。
見通しの良いほぼ直線。
北條の集落を行く。
待避所も多く設けられたいるため安心(?)して走れる。
なんねこのキュッと絞られ具合は!?
ここから川が離れていくためか右手に家が来た。
戦(たたかい)集落を行く。かつて毛利氏の家臣であった(後日織田氏に下っている)宇喜多直家と羽柴秀吉が激しい戦いを行った地であることからついた名前らしい。
道路改良中?
久しぶりの2車線が現れる
なんだかとっても舗装が新しげなんだけど、この右手に架かっている「戦橋」を2011年に架け替えた際に道路も改良したのだろうと思われる。右に円光寺方面への道が分岐する、県道は直進。この先R373を久崎方面に南下するのならば右折して国道に出たほうが早い、かもしれない。
橋の分岐が終わると中央線もなくなってしまった。
コンクリート屋さんの前を通る。生コンクリートではなく、ブロックやU字溝のようなコンクリート製品を製造しているようだ。
橋に向けて少し上る。
円光寺で国道373号線が合流する。r368はここを右折ししばらくR373と重複する、左右の道がR373。 [地図]
「円光寺橋」で佐用川を渡る。
円光寺の集落を行く。
大きくカーブする。
川向うにあるかつて日本一にもなったことがあるローラー式滑り台「ビッグスライダー」(笹ヶ丘公園)に向かう道が分岐する。 かのバラマキ交付金1億円で作ったものらしいが、あれから年数も経ち近年短くリニューアルされた。 8枚前の「戦橋」を曲がってくるとここに出てこられる。
1.6km程R373と重複する。
佐用川に沿って南下する。
直進↑のペイント、左の道は国道に出てくる一方通行だ。
「久崎」で国道373号線が分岐する。r368はここを左折する、R373は直進。 [地図]
久崎の町を行く。
「久崎小学校前」交差点、左手に小学校があり登下校時には注意。 右折すると智頭急行の「久崎駅」に向かう、県道は直進。
まっすぐな道。
智頭急行をくぐる。
千種川沿いに出る。
なんとも広々とした谷底平野。
平谷の集落を行く、といっても集落の中心はここを左手に入ったところだけど。
川向うの原集落に向かう道が分岐している。
平谷集落を出る。
川と山に挟まれたよく見る風景。
広場のような公園のような休憩所のようなスペースがあった。
山側に田畑が広がる。
川向うの井ノ谷集落に向かう道が分岐している。
左手にある石井集落をパスしている。
再び山と川に挟まれる。
ちょっときつめの右カーブに注意。
菰田集落を行く。
多賀で「兵庫県道449号 多賀相生線」が分岐する。 r368はここを直進する、r449は右折。 [地図]
中島地区に入る。
遠くに多くの家々がみられる。
右手に千種川と志文川の合流点がある。
川沿いの旧集落道が分岐している。
那手の集落を行く。
「中島」交差点で町道が分岐している。この先徳久方面に国道179号線に出て東進するならば、ここを右折して末廣方面に国道に出たほうが早い、かもしれない。 [地図]
またここで山がせり出して川に挟まれる。
ここで川から離れる。
徳久の町へ入っていく。
JR姫新線をくぐる。
徳久の町の中は直線。
「徳久駅前」(とくさ)交差点で「兵庫県道225号 播磨徳久停車場線」が分岐する。 r368はここを左折する、r225は直進。以前はr368はここまでであったが、R179にバイパス「徳久トンネル」が造られたことにより直進と左折はR179の旧道となりr368は延伸された、 またr225ここを右折していたが指定が一本東側の道に変更されてこちらは旧道となった。 [地図]
一本北の昔の集落道と交わる。
この区間は旧R179だ、青看板はしっかりと上からヘキサが貼られていた。
ぐんぐん北に上っていく。
二手に分かれている、佐用方面は左へ。
下徳久で国道179号にぶつかって、r368は終わりを告げる。 左右の道がR179。 [地図]