@レポート:阿万下町→湊
「伊丹市寺本」交差点で国道171号から分岐する。
r333はここを左折する、R171は手前と直進。国道北行き(京都方面)および側道からしか左折できないので注意。
[地図]
「兵庫県道333号 寺本川西線」県道案内標識、これからしか県道だとわからない。
曲がってすぐにもう住宅地なのである。
そして、車同士だと離合に気を遣う狭さに。左の中古車買い取り・販売店は現在は廃業している。
昆陽井川(こやゆ)に沿うように左にカーブする。
右折するように昆陽井川(用水路)を渡る、左に「伊丹市道 寺本3297号線」が分岐している。
さらにいっそう狭くなってしまった。左に避けられるがそれはあくまでアパートの敷地。
右に「伊丹市道 寺本3298号線」が、さらにすぐ向こうで「伊丹市道 寺本3296号線」分岐している。県道は直進だが相変わらず狭い。
左に「伊丹市道 寺本3297号線」が分岐。
ここから少し広くなる様子、道路のひし形からわかるようにこの先横断歩道があるので注意。
右手に藪があり(現在は家が建っている)、その向こうで「伊丹市道 寺本3294号線」が右に分岐している。
この辺りでかつての寺本集落を出ている。
小学校と幼稚園の前を行く。残念ながら幼稚園は2020年に廃園となり、敷地の半分に家が建っている。
「伊丹市道 池尻寺本線」と交差する、県道の方が若干狭く、しかも一旦停止。
とてもすれ違えるとは思えない道だが相互通行、左手のコンクリート部分は溝蓋兼歩道。右の延々と続くコンクリートブロック塀は電力会社の敷地、「昆陽変電所」がある。
左手の畑は今は宅地(2015〜2018年)になってしまっている。正面に見える山形鉄塔は「77kV 関西_神_昆陽線 神34」のものだろうか。
歩道がなくなってちょっと広くなった(いいのかそれで)
しかし、ところどころ溝蓋歩道は復活する。
くねくねとカーブしている。西の池尻集落からくる道との合流でかつては丁字路だった名残のようだ。正面に見える2軒の民家の前で左に「伊丹市道 奥畑3278号線」が分岐している。
道幅が広がった、わずか30m程だが。
それまでより狭くなった気がする。
さらに狭くなった、右の塀のせいで圧迫感も感じる。右手は非鉄金属メーカーの広大な敷地、見えている木は現在は伐採され建物が建っている。
365,000uからある広大な敷地のため延々と壁が続いている、左に「伊丹市道 松ケ丘3260号線」が分岐している。
何故かここだけ三角形に幅が広い。
ここでついに工場の塀が終わる、右に「伊丹市道 昆陽北3245号線」が分岐している。
右手に「昆陽霊園」がある部分だけまた少道幅が広がった。
「昆陽池西」交差点で「兵庫県道142号 米谷昆陽尼崎線」が合流する。
r333はここを左折し少しの間r142と重複する、左右の道がr142。ここまでの道は昔からある寺本集落と昆陽池を結んでいた道、正面に「昆陽池」(こや)がある。
[地図]
片側2車線ある4車線の太い道、250m程r142と重複している。
「中野大橋南詰」交差点で「兵庫県道142号 米谷昆陽尼崎線」が分岐する。
r333はここを右折する、r142は直進。
[地図]
昆陽池の北側を行く。
左手には天神川の流れがある。
昔から昆陽池に注ぐことなく側を流れていたらしい。
「昆陽池北」交差点で「伊丹市道 昆陽池鋳物師線」と「伊丹市道 昆陽池千僧線」が分岐する。
r333はここを左折する、昆陽池鋳物師線は直進、昆陽池千僧線は右折。
[地図]
いつもながらなんでそんな細い道を行くのかと疑問に思うのだが、そこはそれこの道はかつて昆陽と川西を結ぶ重要な道だったからです。
畑の中を行く。驚くことなかれ、伊丹や宝塚、尼崎など阪神間には今も町中にもこうしてぽつぽつと田畑が残っていたりするのです。
瑞原で「兵庫県道331号 姥ヶ茶屋伊丹線」と交差する。
r333はここを直進する、左右の道がr331。車やバイクで来ると直進できないので注意。
[地図]
狭い狭い住宅地を抜けてきたことを思うととっても広い。
大きめの道に合流する、県道はここを左折する、右折は「伊丹市道 瑞原3160号線」県道が一旦停止になっている。
[地図]
右に軽くカーブするところで直進に「伊丹市道 瑞原3158号線」が分岐している。
「寺本橋」で用水路を渡る、ここからはまた昔の道をなぞる。左手奥は農地だが現在は宅地になっている。
県内では貴重となった市営バスの一つ「伊丹市営バス」の54系統JR荻野南三師団線「JR伊丹駅行」に出会う。
素直に行けば、ここを左にカーブしていく道なのだが、そこは県道細そうな右に曲がる。
[地図]
幅としては十分離合できる幅があるのだが、停止線を見てもらえればわかるようにアスファルト部分には引かれていない、つまり右のコンクリート部分は「道路」扱いではないのだ。
暗渠になっている水路で、3枚前で渡った水路の上流部分。
左に「伊丹市道 荻野3078号線」が分岐するところで水路ともお別れ、水路はここから開渠となっている。
直進はものすごく細い道だが、残念ながら(?)県道はここを左にくの字に折れる、直進は「伊丹市道 東野3106号線」で昔の東野集落中心へ向かっている。
[地図]
これまた細い路地になってしまった、右に「伊丹市道 東野3105号線」が分岐する。
先の例に倣えば、左手の溝の上(コンクリート部分)は道路ではないのだろう。
左手フェンスの向こう空き地化と思いきや、畑だった。この辺りは畑が多い。
大野で「兵庫県道332号 山本伊丹線」が合流する。
r333はここを左折ししばらくr332と重複する、左右の道がr332。古の道も、この先「川西駐屯地」および官舎によって途切れてしまうためここでいったん外れるのだろう。
[地図]
中央線があるような道ではないのに路線バスやってくるやん……
「伊丹市道 鴻池大野線」と交差する。右手の緑のところ元は民家の敷地だったところだけど、現在は一部を売って宅地にしたらしく現在5軒の家が建っている、一部売っただけで5軒も建つのか……
この少し先で宝塚市に入る、といってもそこから40m程は市境を走っている。
県道はここを左にくの字に折れる。直進する「宝塚市道 4513号線」は60年代に写真10枚先の地点までまっすぐ道ができていたのだが、中国縦貫自動車道造成により分断されてしまった。
さっきからなんだか立派な植木が多くありません? 実は、この辺り山本地区は園芸・植木が盛んな土地として有名なんです、その歴史は古く平安時代まで遡るんだとか。
野里集落の端を行く、といっても今ではそこらあたり全部宅地なんだけど。
「山本植木筋」なんて愛称がついていたりする。
「宝塚市道 1194号線」と交差する、ここから道幅が広くなる。
「山本変電所南」交差点で国道176号西行(宝塚方面)と交差し、すぐ向こうで中国縦貫自動車道「荻野高架橋」をくぐっている。
r333はここを直進する、r332も直進、左右の道がR176と中国道。
[地図]
中国道をくぐってすぐの「山本丸橋」交差点で国道176号東行(大阪方面)と交差する。
r333はここを直進する、r332も直進、左右の道がR176。一応別々の交差点なんだけど同じ交差点名でええやんという気がしないでもないが、確かに手前の交差点は山本丸橋ではなく山本野里なのだ……じゃぁどっちも変電所の南にあるんだからそれでええやん。
[地図]
山本丸橋で「兵庫県道332号 山本伊丹線」が分岐する。
r333はここを右折する、r332は直進。左奥にあるのが「山本変電所」右奥角のぶつだん店は現在は無い。
[地図]
なかでも、四百年ほど前に、隠居して故郷の山本郷に戻った豊臣秀吉の家来であった坂上頼泰が「接ぎ木法」を発見し、
山本村のひいては日本国内の園芸を飛躍的に向上させたのでした。頼泰はその後秀吉より「接木太夫」の称号をもらっている。
中央線が消えているが立派に2車線ある道だ、左に「宝塚市道 1182号線」が分かれている。
県道はここを左折する、右折すると国道176号の東行に出られる。右折は市道指定されてないのだが……県道なのか?
かつては10枚前の地点からここまで道がまっすぐ抜けていた。
[地図]
「宝塚市道 1200号線」と交差する、県道が一旦停止だ。右折すると伊丹方面に戻る。
ここで川西市に入る、といってもそこから90m程は市境を走っている。右に「宝塚市道 3022号線」が分岐している。右手に見えるのは小学校だが川西市立だ。
「総合福祉施設 ハピネス川西」の北側を行く。
「加茂小学校北」交差点で「川西市道 1号線」と交差する。7:30〜8:30の間は車・バイクの直進禁止である、右に加茂歩道橋が架かる。
この先県道をたどる必要がなく、川西市街地へ向かうのであれば市道を行く方がよい……そもそもそんな人はこれまで県道を走ってきてはいまいが。
[地図]
路面に「速度落とせ 通学路」の文字。朝の時間帯直進禁止だったのはこのためか。またここから古の道をたどる。
道幅がキュッと絞られた住宅街、久しぶりにこの狭さ。
上加茂の集落を行く。
さらに狭くなってしまう。そう、この両側の溝の上は……道路ではない!?
少しずれた十字路で「川西市道 27号線」と交差する。道幅はさらに狭くなる。左から来た道は「京伏見街道」といって、有馬街道の「小浜宿」から東進してきて、
県道の終点まで重複した後、池田・石橋に抜け西国街道に合流している街道のようである。
古い、趣のある町並み。
右に「川西市道 99号線」が分岐する、右奥角には「常忍寺」がある。
左のお屋敷の立派な門に「岩田植物生理化学研究所」とある。この岩田家は川西の地に1300年以上続くといわれる大地主で、東京帝国大学に在籍していた岩田正二郎氏が中退後、
東京滝野川の邸内に「岩田植物生理化学研究所」を開いたそうだ。生物界の篤志家として有名で、様々な研究者の後援をしたそうだ。
戦後実家であるこの地に研究所を移したのかはわからないが、蔵書などは移していたようである。
しかし、阪神淡路大震災により母屋や蔵が倒壊したため、それらは大阪教育大学図書館に寄贈され、今も「岩田文庫」として知られるそうである
「川西市道 98号線」と交差する、ここもお互いが少しずれた十字路だ。
「川西市道 99号線」と交差する、99号線ってどこかで聞いたかと思ったら2枚前の地点で右に分岐した道、ぐるっと回ってきて交差してるんやね。
県道はここを右折する、直進すると「川西市道 24号線」で「鴨神社」に向かう、加茂ではないんやね。
[地図]
初回訪問時ここでミスを犯してしまう。Mapionや国土地理院地図、手持ちの地図では右に下りる道が県道指定されており、また「県道といえば面白い道でしょう」というあるあるな思い込みにより右に下りたのですが……
県道はまじめにここを直進してました。
ものっそい急坂、16%の坂です。それもそのはずで、猪名川の河岸段丘を直下しているのだもの、道路としてならばきついけど、昔は人が歩いていたので問題がなかった。
激坂によく見る真空コンクリート舗装(Oリング模様)かと思いきや、六角形の模様が並んでいました、結構古い様式なのかしらね。
ちなみにこの区間は「川西市道 103号線」でした。
ここで左からやってくる県道に合流する、県道の方は6.5%の坂。
こちらが県道の続き、5枚前で市道24号線と別れてからすぐに下り始めるが既に2m以上の差がついている。
結構な高低差になっている。
上に見えるガードレールは「長尾通り」と呼ばれる宝塚から続く道で、ここでは「川西市道 2号線」である。
ちなみに先に見える階段は公共のものではなく正面に見える御宅の私用階段のようだ。
カーブを抜ける手前に道があり、先ほどの市道2号線出でられるが私道のため進入禁止だ。
まっすぐ下っていく。
「川西市道 103号線」が右から合流してくる、9枚前の箇所を右に下りた道だ。県道はここを左折する。
「加茂橋」で加茂井(かもゆ)と呼ばれる用水路を渡る。
お店が立ち並んでいる。
初回訪問時は右手は空き地だったし左手は店舗だったのに、いつの間にやら民家に変わってた。
「上加茂橋」で最明寺川を渡る。
「加茂小橋」で水路を渡っているが、どうやら最明寺川の旧河道のようである。
続いて「清水橋」で水路を渡る。
当サイトで用いているMapionや国土地理院地図ではここを右折する道が県道に指定されているがそれは間違い。
県道は直進する、右折は「川西市道 106号線」右折する方が信号機付き交差点に出るので、r13に出やすいといえば出やすいが……
両側に民家やアパートなどが建つ。
下加茂で「兵庫県道13号 尼崎池田線」にぶつかってr333は終わりを告げる。
左右の道がr13。
[地図]
起点と同じく、終点にも県道案内標識が掲げられていた。